新宿遊廓の歴史は今からおよそ300年前の江戸時代、日本橋から二里のこの場所に宿場が開設されたことから始まったと言われています。宿場の一部が、信州高遠藩内藤家の下屋敷の一部であった事と、新しい宿場であったので内藤新宿と呼ばれ江戸文化の中心的な存在でした。江戸時代の遊廓は今日の新宿二丁目近辺ではなく、玉川上水が流れていた今の御苑通りの北側、広重の「玉川堤の花」でもわかるように、江戸時代、新宿の上水と言えば春は桜、夏は蛍の名所として知られていた江戸の観光名所。そして、時を経て今日の二丁目に移り変わったのは大正時代の頃、大木戸から追分にかけて散在していた遊廓を、当時牧場だった現在の2丁目近辺にまとめられた事から始まります。
現在残る2丁目赤線時代の建物の多くは木造2階建てもしくは3階建て、表向きは外装工事がされ、スナック等に生まれ変わっていますが、入口脇の細い階段等が当時の面影を残しています。代表的な建物は新千鳥街。
その当時を是非みて見たかった。ここでは90年代の新宿2丁目の風景を02年の景観と重ね合わせ、変わりゆく街並みの風景を残していきたいと思います。
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