新宿2丁目
昭和6年頃の新宿2丁目
昭和6年頃の新宿2丁目

新宿遊廓の歴史は今からおよそ300年前の江戸時代、日本橋から二里のこの場所に宿場が開設されたことから始まったと言われています。宿場の一部が、信州高遠藩内藤家の下屋敷の一部であった事と、新しい宿場であったので内藤新宿と呼ばれ江戸文化の中心的な存在でした。江戸時代の遊廓は今日の新宿二丁目近辺ではなく、玉川上水が流れていた今の御苑通りの北側、広重の「玉川堤の花」でもわかるように、江戸時代、新宿の上水と言えば春は桜、夏は蛍の名所として知られていた江戸の観光名所。そして、時を経て今日の二丁目に移り変わったのは大正時代の頃、大木戸から追分にかけて散在していた遊廓を、当時牧場だった現在の2丁目近辺にまとめられた事から始まります。

現在残る2丁目赤線時代の建物の多くは木造2階建てもしくは3階建て、表向きは外装工事がされ、スナック等に生まれ変わっていますが、入口脇の細い階段等が当時の面影を残しています。代表的な建物は新千鳥街。
その当時を是非みて見たかった。ここでは90年代の新宿2丁目の風景を02年の景観と重ね合わせ、変わりゆく街並みの風景を残していきたいと思います。
(リンクを張ってある画像は大きく見ることが出来ます)

新宿2丁目 2002/1/25(金)撮影


仲通り入口にあった喫茶店ココパームの建物。現在は取り壊されている。


新宿通り側より仲通りを望む。左手に見える浅野屋の建物はビル化されている。


今も残る長崎ちゃんぽん屋の建物。右手の建物は貸店舗中、リニューアルされているが赤線時代の名残がある。


外壁はリニューアルされているが、以前は木造3階建ての純和風建物だったことがわかる。現在では取り壊されて駐車場に。


趣のあった浅野屋の建物。現在はビル化されている。


お隣のビルの看板は変わっているものの、10年前と変わらぬ一角。

森本酒店

仲通りに面した森本商店も数年前にビル化された。


ホテル玉龍のお隣の建物もコインパーキングに。

牡丹

つい最近まであったスナック「ラマンチャ」と旅館「牡丹」の建物も駐車場に。

(モノクロ写真撮影TOLYAさん1990年頃)

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